lizminim

忘れていても思い出せるように。

10月。反省。

 靴を新調することを考えたが、金がないので諦めた。10月は岩行ったお陰か、ホールドの踏み方が良くなった感覚がある。しっかりホールドに乗り込めるようになったというかそんな感じ。苦手なスメアが岩行く前より多少マシになっている気がしている。外岩に比べるとやはりジム壁は踏みやすいからか。足裏でホールドに乗っている感覚を覚えるために今履いている靴にもう少し慣れたい。月会員2ヶ月が経過したが、真面目に登っているお陰で順調に強くなっている感覚がある。11月は試験や勉強で忙しいが、12月はクライミングに全投資しようと思う。都内の外ジムへ遠征をしようと画策中。11月は船ロキ2級全制覇を目標にしようと思う。

 

2022/10/10, 10/22 御岳

10/10

 前日に錦糸町Twallで3級が登れず歯痒い思いをした。その日は疲労のためAM:11:30頃目が覚めた。目が覚めてLINEの通知に気が付くと、友人から「今日御岳に行くぞ」と連絡。AM:6:41。この男早すぎる。「ワロタ」と返して慌てて身支度して駅へ走った。御岳駅へは西船橋から2時間30分。現地に到着するまで御岳が東京都なことを知らなかった。
 御岳駅で友人と合流。彼は忍者返しを登ったらしい。相変わらずの強さだった。仕事がどうとか色々話しをしながら岩場へ向かった。
 忍者返しの岩。の隣の白虎岩に到着。ジム通い2か月目の今なら2級がもしかしたら行けるのではと思ったがそんな甘くなかった。同じルートでSDじゃないスタートが3級だったのでそちらもトライ。右手が掴めず敗退。
 忍者返しの岩の右側へ移動。マミ岩の左側の6級。これは余裕がをもって登れた。次はマミ岩4級。スタートが切れないのウケる。2手目がガバなのに取れない。敗退。
 白虎岩に戻る。マントライクと同じラインにランジ課題があったのでそれにトライ(マントライクのバラし?)。身長もリーチあるはずなのに全然飛べなくて泣く。体が重い。友人にフォローをもらい30分くらいたったか。ようやく手がかかり始める。そしてさらに数トライをして何とかつかんで上へ上がれた。嬉しかった。大満足だった。
 帰りは友人と青梅より東側の駅まで送ってもらうついでに、とんかつを食べて駅に捨ててもらった。車欲しいな。

10/22

 彼は22、23日で御岳で登るらしい。青梅で拾ってもらい今日はロッキーボルダーへ。前日に「初段が登れたらいいな」とヘラヘラと話していたが全然無理。彼は2段だったか平然と登ってて笑った。
 先週と同じく忍者返しの岩ゾーンへ移動。人が多い。忍者返し触ってみるべきだったな。白虎岩で先週ダメだった右側のラインの3級をトライ。初手はかかったがヒール使っても体重がうまくかからない。太ももの裏が痛んだ。変な力のかけ方をしたようだ。 敗退。
 やわつむり4級をトライ。手が痛すぎる。それはともかく足を右から左へ振ることができない。敗退。
といった感じの岩のぼりだった。数年前も連れて行ってもらったが継続して登りまくらないと力が付かないと改めて感じる。来年春にソロで御岳リベンジ。やわつむりのリベンジを果たしたいし、遊歩道岩も優しそうだったからそのあたりから攻略したいところ。  

修行が足りない

 余暇をボルダリングに投資できるようになった。思えば大学時代はバイクで旅行することにハマり、九州に関して言えば大体回ったと言える程度には時間をそちらに投資していたが、ようやくボルダリングジム近くに住めることになったので9月より月会員となった。

 10月は御岳に2度ほど足を運んだ。SNSでよく見聞きする岩場というのもあり、アクセスがしやすく、現地は確かに人も多かった。9月からジム通いを始め、2級、1級までぽつぽつ登れていたので、3級くらいが登れたらいいなと思っていたが、全然登れないという事実に直面した。マジか。

 という現実を打破するために記録を定期的(どうせ飽きる)にまたブログに記録を残していこうかと思っている。しばらくはジムで3級くらいを毎回10本以上登ることを目標にして頑張ろうと思う。寒くなってきたし家から外に出たくないけど、ボケ防止って意味でも体を動かすのは大事だからね。雑なエントリだが久しぶりに書いたら疲れたからこんなところか。

じゃあまた。

ツナポテトサラダ。

 研修が終わり、課に配属されて一ヵ月。一ヵ月も生き延びることができて、いささかホッとしている。今年就職のために福岡から上京し、一人暮らし7年目に突入した。6年も一人で暮らしていると手の抜き方を覚えるようになり、大学時代の6年間の下宿生活は、三食コンビニ飯や昼夜逆転等、「ていねいな暮らし」とはまるで無縁の生活を送っていた。  さて、6年間の学生時代を終えた私は、休息の取り方を完全に忘れてしまっていたことに気がついた。社会人になったばかりの私は、かつて土日休日に何をしていたのかさっぱり思い出せなかった。かつてというのが一体いつを指すのかはわからないが、よく考えてみると土日休日の使い方をよくわかっていない可能性があると思った。YoutubeTwitterをいじりながらベッドの上で惰眠を貪っていると平日がやってくる。知らないうちに自分の中の何かが壊れ続けていると4月末に気がついた。したいこと、好きなものがわからない。何が好きで何が楽しみで生きているのだろうか。かつて、中学生、高校生だった自分は、もっとこう何か好きなモノがあって、こだわりがあって、希望やそんな類のものを持っていたような気がする。どうすれば好きなモノを見つけられるのか。どうすればこだわりを持てるのか。どうすれば夢や希望を持てるのか。そもそも夢や希望ってなんだ。将来の夢か。それとも本当に自分がどうなりたいかって話なのか。いやでもたとえそれになりたいと思ったとしても、そうなれるわけがない。そんな簡単なものじゃないのは24年も生きていると理解できる。だったら僕にどうしろっていうのか。どうしたらいいんだ。どうすればいいんだ。

 そんな時、私に一つの天啓が降りてきた。

 まずは暮らし。暮らしを始めよう。

 私に必要なのは執着やこだわりのようなものである。俺にはどうにも継続というものが足りない。じっと待つ。これだ。俺にはこれが足りない。日々の生活を懸命に営む。何かに縋るように必死に必死に執着をする。自分を見つけるにはそれしかない。雰囲気で生きてるだけじゃ自分が溶けてなくなってしまう。誰だかわからないくなる。自分が自分であるために、自分が自分を認識するために、何かをしなければならない。

 だからポテトサラダ。まずはじゃがいもを適当に茹でる。この時皮は剥いて、半分に切って茹でると茹で時間が短くなる。横着して鍋に突っ込んだじゃがいもを強引に包丁で割ってしまい熱湯が前腕に跳ねた。ボウルにツナ缶を一缶ひっくり返す。汁気はできる限り取り除いておく。じゃがいもに箸を刺し、煮えたか確認をする。ガジガジな方がうまい気がしたので、少しばかり芯が残ったじゃがいもを先のボウルに放り込む。あとはマヨを大量にかける。健康なんて知ったこっちゃない。毒も喰らう栄養も喰らう。両方を共に美味いと感じ、血肉に変える度量こそが食には肝心だとかの範馬勇次郎も言っていた。なので胡椒も容赦なく。

 ツナポテトサラダの完成。

遊んでないで仕事をしろ俺。

誰かに鼻で笑って欲しくて

 この春,大学院を卒業して学生という肩書きを失い,”社会人”となった。 いつだったか昔,社会人って、或いは20代ってなんだかキラキラしていて,”大人”っぽくて、そんな姿に憧れや希望を抱いていた覚えがある。いざそれになってみると,月並みな感想だが,そんな立派なもんでも無い。

親父と一緒に上京した2022/3/25。
成田空港から船橋へ向かう電車の中。 上京に伴い、これで別れだまた再会だのとの連絡で携帯端末の電池の減りが早かった。 向かいの席に座っていたにいちゃんが英単語張を忘れそうになっていた。
それを急いで追いかけた。いいことした気分になった。宝くじでも当たらないかなと思った。

そういえば、中学時代いつも一緒に馬鹿やってた友人がいた。 卒業してからは疎遠だしきっと今世で会うことも無いだろう。 彼は「めちゃくちゃかっこよくて渋いおっさんになる」って言っていたな。 俺はどうなるんだろうか。

そういえば、最近になってようやく自分のことが少しわかった気がする。
ある言葉がどうにもリフレインし続けて,あぁ俺に足りないものはこれだったのかと。 いつもひとりよがりで,いつも自分のことしか考えていなかったなって。

そういえば、「絶対に結婚できるよ。」って言ってくれた奴のツラがチラついて仕方がない。 ベタつく温い風に当たると、バツの悪そうな彼方の表情と間抜けな声を思い出す。女々しい思い出みたいでキッショいのはわかってるんだけど忘れられないものは仕方ない。 だから来世は適当な返事をせずに、その時より幾分かマシな回答をしようと思う。

だけどそんな思い出や気持ちも明日には忘れているかもしれない。 だから明日の朝、忘れてても少しでも思い出せるように。